これからの暮らしに、そして商業施設にウェルビーイングの視点を<後編>
―渡邊淳司氏(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)×松本阿礼・石田真理子(ジェイアール東日本企画)―

未来の商業施設ラボ VOL.12

商業施設の「買い物の場」としての価値が揺らぐ中で、生活者の視点に立った「理想の商業施設像」を考える、「未来の商業施設ラボ」。本連載では、当ラボメンバーによる、識者へのインタビューをお届けしています。今回のゲストは、近年注目を集める「ウェルビーイング」について研究されている、渡邊淳司さんです。ウェルビーイングとはどういうものか、暮らしにウェルビーイングをもたらすために商業施設が果たすべき役割などについて、お話を伺いました。今回はその後編です。
<前編はこちら>

ウェルビーイングについて対話する新たな拠点

石田:私たちは、商業施設が地域の人たちのクオリティ・オブ・ライフを向上させる存在になることを目指しています。商業施設は、ウェルビーイングに対してどのように貢献できるでしょうか。

渡邊:一つ関連しそうな取り組みを紹介しましょう。ウェルビーイングの研究に関して共同で取り組んでいる、東京都市大学でコミュニティマネジメントを研究されている坂倉杏介先生がいらっしゃるのですが、その坂倉先生と学生が中心となって、ウェルビーイングをテーマにしたコミュニティの拠点をつくるという取り組みがあります。東京都市大学がある世田谷区の尾山台で、地元の商店街や小中学校と連携してワークショップなどを開催し、研究者と地域住民とが、ウェルビーイングについて自然な形で対話できるような場をつくろうとしています。

世田谷区尾山台地域で、坂倉准教授と学生などが中心となって行っている「おやまちプロジェクト」。地元商店街や小学校と連携し、ウェルビーイングについて考えたり、地域の未来を構想したりするワークショップを開催している
提供:東京都市大学 坂倉杏介研究室

石田:大学すぐそばの商店街という、身近な所から始めておられるんですね。

渡邊:ウェルビーイングを自分事として捉えるためには、生活に密着していることがとても重要なことだと思います。
また、ウェルビーイングについての対話といっても、「あなたは今幸せですか?」と聞くだけではありません。これまで坂倉先生を含めた共同研究グループが行ってきたワークショップ(※)においてもそうですが、まず、そもそも「あなたにとってのウェルビーイングとは何か考えてみましょう」というところから始めます。具体的には、自分をポジティブにするこだわりや、ウェルビーイングの要因について挙げてもらうことをよく行ってきました。

さらに次のステップとして、その要因実現のためにはどんな行動の選択肢があるのか、具体的に挙げることが重要だと私は思います。例えば、「この街にはこんな可能性や潜在能力がある。だから、あなたにはこんな選択肢があるんじゃないか」という選択肢をできるだけ多く用意します。選択肢があるということはウェルビーイングへつながる可能性があるということです。良い状態へ向けて、この街で何かできることがあるかもしれないという希望が生まれると、そこに関わる人々にエネルギーが湧いてきます。

そして最後に、その選択肢を自身の動機づけで行動に移すことが必要になります。誰かにやらされたり与えられたりしたものは、自分にとってポジティブなものであっても、自分事になりづらい。誰かと一緒にする・誰かのためにするなど、他者との関わりが、動機づけとして非常に大きなものになります。私が研究してきた触覚もこのような動機づけに大きな影響があります。

「ウェルビーイングな暮らしのためのワークショップマニュアル」

持続的ウェルビーイングを実現するためには、3つのステップが必要だと渡邊さんは考えている(図版は渡邊さんの資料を基に作成)

松本:商業施設も、さまざまな人がふらりと立ち寄れる場所です。そこでウェルビーイングについて話をする機会があれば、地域の可能性について考えたり、それによって希望を見いだしたりできるでしょうか。

渡邊:ウェルビーイングについて話をするにしても、いきなりそれ自体を考えようとすると話が膨らまないことも多いです。だから、何かをきっかけにして人と人のつながりをつくったり、共同行為をしたりしながら考えた方がいい。お客さん同士が一緒に買い物したり食べたりする中で好きなものについて話題にするのでもいいし、ショップで作り手と買い手が一緒に心地良いものを選んだりデザインしたりとか、そういう共同行為の場として商業施設は機能することができるのではないでしょうか。

このような共同行為を通して、自分にも周りの人にもそれぞれのウェルビーイングがあることを理解していきます。人によってウェルビーイングが実現される形は異なるので、それを理解した上で、お互いにとってどこが“いい感じ”なのかを知れば、周囲の人との関係性も良くなる。その“いい感じ”を体感できるきっかけが増えればいいなと思います。

商業施設では、リアルならではの触覚体験や共有体験を

松本:商業施設でも、ウェルビーイングをテーマとしたコミュニティができればいいなと感じました。さらに、そうしたコミュニティの拠点として以外に、リアルな場を持つ商業施設が、ウェルビーイングに貢献できることはあるでしょうか。

渡邊:例えばですが、私は触覚の研究をしていたこともあって「足湯」が好きなんです。足湯は、多くの人に同時に温度刺激をすることができる優れた温度提示装置なんですね。さらにそこでは、知らない人同士が同じ触覚体験をしていることをきっかけに、「いいお湯ですね」と話し始めたりする。その後は「そうですね」と話を受け止めるだけでもいいし、「あなたはどちらから?」などと話を続けてもいい。弱いつながりの場があります。

あとは、銭湯の風景画のような、同じ景色を一緒に見るのも面白そうです。見るというのは一見受動的な行為に思えますが、共同注意と言って、同じものを同時に見ることはある種の共同行為ですし、さらに「いいものだね」「すごいね」と価値判断を共有することも重要です。このように足湯や銭湯で起きるような、弱いつながりを育む共同体験の場を設けてもいいんじゃないかと思います。

松本:確かに、オンラインでは足湯や銭湯のような体験はできませんね。リアルならではの触覚体験や共有体験は、商業施設の強みとなり、コミュニティ形成にも寄与しそうです。その他に、何かテクノロジーを活用するような方向性はいかがでしょうか。

渡邊:拡張現実を使ったゲームで遊んでいる人たちが、その場で仲良くなることがありますよね。それぞれのスマホの中でゲームは行われていますが、物理的な空間を歩きながらアイテムを手に入れたりバトルをしたりするので、必然的にあるエリアに人が集まり、そこで攻略法の話題で盛り上がったりして、人と人がつながるきっかけができます。何か話しかける理由だったり、息を合わせる理由だったり、そういうきっかけをつくることが必要なんだと思います。目の前のイベントに対して、「すごいね」と思わず互いに目を合わせてしまう、思わず目の前の人に話しかけてしまう何かが。

生活データの提供は、自分だけでなく誰かのために

松本:私たちは、これからの商業施設は「買い物の場」から「生活の場」に変化していくと考えています(VOL.1参照)。そこで、利用者の食事・運動・健康状態などの“生活のデータ”をセンサリングし、それぞれにパーソナライズした情報を届けて、ウェルビーイングにつなげてもらうようなことができないかと考えています。

渡邊:利用者が「データを搾取されている」と思わない仕組みが必要だと思います。ウェルビーイングにとって、他者や社会への信頼が大切という話をしましたが、誰が何のためにデータを取っているのかという透明性を持つこと、そして、データを渡すことで自分だけではなく他の誰かのためにもなるという利他性がこれから重要になると思います。

現在、会社経営においては、株主だけでなく顧客や従業員、流通や製造なども含めた、全てのステークホルダーにとってのウェルビーイングが求められています。会社が経済性だけでなく、関係者全てのウェルビーイングに貢献することが存在意義であるという価値観が広まりつつあります。法人の経営と同じように、個人の生活においても、自分自身だけでなく周囲の人々や社会を含めた「わたしたちのウェルビーイング」について考えることが必要になってくるでしょう。そして、そのためのテクノロジーの設計や、商業施設をはじめとする人々の生活の場のデザインがますます重要になると思います。

松本:自分のためにデータを預けるだけではなく、誰かのためにもなる、利他行動としてのデータ提供というのが興味深いです。

石田:商業施設は、地域に住むさまざまな立場の人がふらりと出入りする場なので、ウェルビーイングについて考えるコミュニティ拠点を設けたり、足湯のようなリアルな触覚体験や共有体験を提供したりすることで、地域の人々のつながりの強化に貢献できそうですね。テクノロジーの活用についてもさまざまな可能性がありそうです。お話を伺って、そういったつながりが、個人、ひいては地域全体のウェルビーイングに貢献していくのではないかと感じました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

次回以降も、未来の暮らしに関して、さまざまな識者の方へのインタビューをお届けします。「未来の商業施設ラボ」は生活者の視点に立ち、未来の暮らしまで俯瞰していきます。今後の情報発信にご期待ください。

<完>
構成・文 松葉紀子

渡邊淳司
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 上席特別研究員
1976年生まれ。2005年東京大学大学院 情報理工学系研究科 博士課程修了。博士(情報理工学)。人間の知覚特性を利用したインタフェース技術を開発、展示公開する中で、人間の感覚と環境との関係性を理論と応用の両面から研究している。専門は触覚情報学、ウェルビーイング論。
主著に、『情報を生み出す触覚の知性 –情報社会をいきるための感覚のリテラシー』(単著、毎日出版文化賞(自然科学部門)受賞)、『ウェルビーイングの設計論 –人がよりよく生きるための情報技術』(監訳)、『情報環世界 -身体とAIの間であそぶガイドブック』(共著)、『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために –その思想、実践、技術』(監修・共編著)、『見えないスポーツ図鑑』(共著)、『表現する認知科学』(単著)など。

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社会の環境変化やデジタルシフトを背景に、商業施設の存在価値が問われる現在、未来の商業施設ラボでは、「買い物の場」に代わる商業施設の新たな存在価値を考えていきます。生活者の立場に立ち、未来の暮らしまで俯瞰する。識者へのインタビューや調査の結果などをお届けします。

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  • 村井 吉昭
    村井 吉昭 未来の商業施設ラボ プロジェクトリーダー / シニア ストラテジック プランナー

    2008年jeki入社。家庭用品や人材サービスなどのプランニングに従事した後、2010年より商業施設を担当。幅広い業態・施設のコミュニケーション戦略に携わる。ブランド戦略立案、顧客データ分析、新規開業・リニューアル戦略立案など、様々な業務に取り組んでいる。

  • 安川 由紀
    安川 由紀 駅消費研究センター研究員/未来の商業施設ラボ メンバー

    2007年jeki入社。コミュニケーション・プランニング局で鉄道や商業施設関連のプランニングに従事した後、2014年より駅消費研究センターに所属。現在は、駅利用者を中心とした生活者のインサイトや消費行動の研究に取り組んでいる。

  • 松本 阿礼
    松本 阿礼 駅消費研究センター研究員/Move Design Lab・未来の商業施設ラボ メンバー

    2009年jeki入社。プランニング局で駅の商業開発調査、営業局で駅ビルのコミュニケーションプランニングなどに従事した後、2015年より駅消費研究センターに所属。現在は、駅利用者を中心とした行動実態、インサイトに関する調査研究や、駅商業のコンセプト提案に取り組んでいる。

  • 篠原 りな
    篠原 りな 未来の商業施設ラボ メンバー / コミュニケーション プランナー

    2017年jeki入社。営業局で商業施設のプロモーションに従事した後、2年間出向。 若年向けファッションビルでの販促業務や、顧客分析やアプリ運営などのオムニサービス推進を担当した。 現在はコミュニケーション・プランニング局で化粧品などのプランニングに取り込んでいる。

  • 石田 真理子
    石田 真理子 未来の商業施設ラボ メンバー / コミュニケーション プランナー

    2019年jeki入社。コミュニケーション・プランニング局に配属。 食品、飲料などの生活関連商材、ホテル、住宅のプロモーション、コンセプトメイキングに携わるなど、プランニング業務に従事。