個人が自身のデータをコントロールする時代へ。
ポストCookieのデータマーケティング<後編>

jekiデジタル VOL.6

個人データの利用規制が進む一方で、プラットフォーマーなどの足並みが揃わず、個人データの活用環境はまさにカオス化しつつある。しかし、だからこそ新たなデータ活用のための仕組みづくりや、データマーケティングの対応によって、新たに飛躍する可能性も秘めているともいえるだろう。前編に続き、後編では、未来に向けたデータ活用のあり方や考え方、そして各事業者における戦い方などについて、株式会社DataSignの太田祐一氏に、jekiメディアマーケティングセンター長の直井伸司とメディアマーケティングセンター兼デジタル・ソリューション局の荒屋虎之介が話を聞いた。
前編はこちら

価値ある情報提供が促進する「個人データの活用許諾」

直井:ポストCookieが未だカオス化して先が見通せないとしても、ビジネスはストップできないので、それぞれの事業者が工夫して対応していくほかないでしょうね。Googleの「プライバシーサンドボックス」と「メールアドレスのハッシュ化※」などの動きが出てきているなかで、太田さんとしてはどのようにお考えですか?
※メールアドレスをハッシュ値と呼ばれるランダムな文字列に置き換えること。暗号化と異なりメールアドレスは復元できない

太田:私は「メールアドレスのハッシュ化」のほうが有力と見ています。というのも、プライバシーサンドボックスはブラウザ側の仕様なので、手元にデータを落として分析し、ターゲティングに使いたいというビジネス要件を満たせないんです。本来のデータマーケティングは、より個人に近づいて理解しようという流れになっています。そしてユーザーにとっても、本当に理解した上で提案してもらえるならメリットは大きいですからね。なので、メールアドレスやソーシャルID単位で同意を取って活用し、どう使われているかが分かり、いつでも拒否できるという環境のほうが健全ですし、ビジネスとしての価値も高いと思います。

直井:個人を起点に「個人に不利にならないよう、むしろ個人データを活用することで得をする」ことを考えたほうが、結果的にビジネスにもプラスになるのは当然ですよね。そのために情報銀行という仕組みを利用できるとしたら、私たちとしても大歓迎です。となると、個人ユーザーの承認をどうやってとっていくか…ですが、ターゲティング広告は未だ嫌われる傾向にあります。

太田:いや、ターゲティング広告が嫌われているというより、出てくる情報に魅力を感じないからではないかと思います。それは、すなわち使っているデータが個人の理解につながっていないからだと思うんです。たとえば、性別など属性で設定されたターゲティングにどんな意味があるでしょう。ニーズが多様化するなかで「男性ならこれがほしいはず」なんて、あまりに雑すぎます。また近年一番多いのはリターゲティングですが、一度ちらっと見ただけのものがずっと画面にある、たとえば、いろいろ検討してAmazonで買ったけど楽天の広告はまだ出ている、といったことは多いと思います。せめて、「何を見たか」から分析して、「次は何を必要とするか」くらい提案してほしいと思いませんか?たとえば、息子がゲームPCをつくりたいというので調べたら、その製品がそのまま出てきます。そうではなくて、CPUとビデオカードの要件は決まっているから、それでおすすめを教えてよと。そこまでできれば、ほんとうの意味でのレコメンドなのでユーザーは重宝するし、コンバージョン率も上がるでしょう。

荒屋:確かに、生活者個人がこれまで何を欲しがってきたのかを把握し、これから何を欲しがるのかを予測する、というのが結局は大切ですよね。そうすると、テクノロジーを駆使してブラウザからデータを吸い上げるよりも、個人から予め同意を得た上でデータを預かるほうが合理的ですね。デバイスやブラウザを跨いでデータを統合したいですし。

太田:まさにそこなんです。そのためには、プラットフォーマーから独立して個人がちゃんと情報をためておける場所、そして、その情報を分析して「これいかがですか?」って言ってくれる人が必要で、情報銀行がそのひとつだと考えています。

なお、欧州では個人が自由に情報を移せる「データポータビリティ」の権利が認められています。たとえばNetflixとHuluを契約していてどちらで観たかわからなくなることがありますよね。そこでどちらかのデータを寄せたり、統合したりすると個人的に便利ですし、事業者側もその人の趣味嗜好がわかってリコメンドしやすくなります。そうした「データポータビリティ」が認められたら、データの移管先・ハブとしての役割を情報銀行が担うのではないかと思います。

情報を個人の手に取り戻し、情報という恩恵を受ける仕組み

荒屋:情報銀行は日本だけでの取り組みなのでしょうか?

太田:世界各国で構想や実践もあるようですが、国が認定スキームをつくって日本IT団体連盟が認定するという仕組みは日本だけなので、先進性という意味で注目されています。データを預ける際に、特定の事業者だけが勝手に使うというのでは問題なので、「個人の利益を優先し、不利益にならないように公正に情報を届けられる事業者」として第三者が認定していくべきなのは明らかです。さらに2019年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で安倍前首相が「Data Free Flow with Trust(DFFT)」を提唱して各国間のデータ連携を呼びかけています。内閣官房デジタル市場競争本部に「Trusted Web推進協議会」も設置され、国が主導する形で個人データの流通・活用の仕組みを作ろうとしているのは世界でも先駆的だと思います。

直井:国が主導で個人データ活用の仕組みづくりというと、ジョージ・オーウェルが描いたような監視・管理社会をどうしても想像してしまうのですが(笑)。

太田:そう、あくまで国がコントロールするのは仕組みであり、個人の情報は個人がコントロールするべきだというのをしっかり担保しないと、単にプラットフォーマーが国になるだけとなったら本末転倒です。たとえば中国でのコロナ感染者は完全に国が掴んで管理していますが、日本のCOCOAは自分の情報を極力出さずに濃厚接触者になっているかどうかがわかるようになっています。つまり、個人情報は保護されつつ、必要な情報は共有し合えるという非常に優れた仕組みなんです。でもそれは、個人が主体的に参加しなければ、全体が恩恵を受けられないということでもあるんです。なのでもう少し、個人のデータをどのように預けたら、どのような恩恵があるのか、そのためにはどんなルールや仕組みが必要なのか、議論できる場があるといいなと思います。

直井:情報銀行という構想も、個人の理解と信用が重要ということですね。そう考えると、とても壮大でポジティブな野望に感じられてきました。

太田:そうでしょう、そうなんですよ!情報銀行というと「情報って売れるんでしょ?」という話になりがちなんですが、実は情報を個人の手に取り戻すという意味で欠かせない仕組みなんですよ。なので、最近「PDS(パーソナルデータストア)」と表現することもあります。

荒屋:生活者個人が、自身のデータを自身の意思で扱えるという権利を取り戻すわけですね。情報銀行が生活者に及ぼすメリットは理解できたのですが、我々のような企業はどのようにメリットを見出し、マネタイズしていくべきでしょうか?

太田:これまでは、DSP・DMPも含め、広告会社などが各自でデータを収集し、その量が競争力や企業価値につながっていましたが、情報銀行やPDSが実現した世界では、データは個人を中心として1カ所にまとめられ、いわば民主化が進むことになるでしょう。そうなると、データを使って「どういった提案、どういうものをユーザーに見せるか」というところだけで勝負していくべきではないかと思っています。それはある意味、本質的ではないかと。

荒屋:データが1カ所にまとめられるというのは、具体的にどのようなイメージでしょうか。会社の垣根を越えてデータを収集・管理できるように、複数社でコンソーシアムを組むような感じでしょうか?

太田:チャレンジはされてきましたが、業界内だけでは進まないでしょうね。自社で取得したデータは、競合には使わせたくないと考えるでしょうから。でも、潮流としては「データの民主化」は進むと思います。かつて技術によって囲い込みや差別化がなされ、技術がオープンになってデータがそれに代わり、その次に来るのが「分析してどう活かすか」という本来のサービスになってくると思います。となると、競争力のカギは「分析力」と「分析に必要な情報を個人から委ねてもらえるか」になります。

直井:本当の頭脳ワークというか、本質的ではありますね。

個人データの活用を任せてもらえる「企業としてのトラスト」が重要に

荒屋:改めて、我々が新しい世界で価値を創出し、存在感を発揮していくためには、何が必要なのでしょうか?

太田:分析力はともかく、「分析に必要な情報を個人から委ねてもらえるか」という部分については、やはり個人からの”信頼・信用=トラスト”が重要になってきます。その意味で、たとえば、JR東日本グループなどの生活インフラを支えるグループ企業は、トラストの塊かもしれません。JR東日本グループから「あなたに合った適切な情報をしっかり伝えたいので」と言われたら、比較的多くの方が自分の情報を活用することにOKするのではないでしょうか。そのトラストにどうやってレバレッジをかけ、影響力を高めていけるかと考えれば、大きなチャンスだと思います。

荒屋:おっしゃっていただいたトラストに加えて、「移動」という明確な軸があるので、どういうデータを取り扱う企業なのか明確にイメージしてもらいやすいという点も当社の強みにできそうです。
他方、総合広告代理店としては「そのときにすぐ欲しい情報」の提供だけでなく、長期的なブランディングや認知獲得も大きなテーマです。そういった分野のデータ活用については、どのように思われますか?

太田:そこもやはり、企業としてのトラストが強みになると思いますね。購買のコンバージョンは短期的で意思的かもしれませんが、ブランディングは無意識への長期的・継続的な働きかけが重要となります。しかし、自分の無意識の行動や情報がブランディングの効果計測などに使われるとなると、気持ち悪く感じるものです。たとえば、現在Webサイトの行動履歴を取られることに対して、個人が自分でコントロールできることが求められていますが、裏を返せば「自分でコントロールできれば活用してもよい」という意識に変わりつつあるということだと思います。つまり、無意識への働きかけについても、信頼できる仕組みや使われ方であると分かっていて、自分のコントール下にあれば情報を使われても気持ち悪いと感じなくなると思うのです。

直井:企業の信頼感みたいなものが大切というわけですね。しかし、下手をすれば、それはやはり昔ながらの重厚長大な企業が優位ということになりませんか?

太田:それはあると思います。一方で、個人的にはトラストは様々な形があり、データを使う企業とデータを預かって割り振りする企業ではトラストの形も違うと思います。前者は「ちゃんとデータを使ってちゃんといい情報をくれる」というトラスト、後者は「何ものにも染まらず、あくまで個人のことだけを考えてくれる」というトラストです。そして、前者については企業ごとにトラストが異なり、どうトラストを構築してどうマーケティングに活用するかを広告会社が考え、担っていくということになると思います。

直井:なるほど、トラストには企業の人格っぽい”匂い”がしますね。

太田:広告会社の戦い方も変わってくるでしょうね。案件ごとの戦いというより、クライアント企業のブランドを活かしたトラスト構築から、データを収集し、それをどう活用していくかという全体設計が不可欠になります。クライアント企業もお客様がデータを預けてもらえるようにブランド力を上げていく必要があるというわけです。IoTが進み、製品の機能性、利便性向上のため個人のデータを収集することが当たり前の時代になれば、たとえば家電製品を扱う家電メーカーにも今以上にトラストが求められるようになる可能性は高いです。オンラインに繋がってデータは収集されるけど、それは故障したときに原因がわかるためのものだったり、便利に操作できるためとか、そういうところに使ってくれるんだろうなという信頼があるからこのメーカーを選ぶ、といったことが増えてくると思うんです。

我々も「paspit」の将来像として、自分のことを何でも知っている頭のいい、”信頼できる秘書”を目指しています。たとえば「うちに洗濯機を買うならどれがいいかな?」と働きかければ、家族構成や洗濯の頻度、持っている服の傾向から「これはどう?」って良い提案が返ってくる。決して売りたい製品の押し売りではなく、本当に自分のことを考えて提案し、そして、その提案には、その人が持つその企業へのトラスト度合いも加味されているという感じです。

直井:確かに、信頼できる人でないと相談しないですよね(笑)。トラストの重要性を改めて認識しました。個人情報が個人によってコントロールされる時代、様々な立場から見た可能性についても、いろいろと考えるいい機会となりました。本日はありがとうございました。

太田祐一
株式会社DataSign 代表取締役社長
DMPやMAツールなど企業主体でパーソナルデータを活用するシステムを開発してきたが、個人がコントロールできない不透明な状態でのデータ収集・活用に限界を感じ、データ活用の透明性確保と個人を中心とした公正なデータ流通を実現するため、DataSignを設立。DataSignが開発する「paspit」は初となる情報銀行の通常認定を受ける。

この他、一般社団法人MyDataJapan 常務理事、内閣官房 デジタル市場競争本部 Trusted Web推進協議会 委員、ISO/TC 307 Blockchain and distributed ledger technologies 国内審議委員会委員、総務省情報信託機能の認定スキームの在り方に関する検討会委員、一般財団法人情報法制研究所研究員を務める。

上記ライター直井 伸司
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  • 直井 伸司
    直井 伸司 jekiメディアマーケティングセンター センター長

    1992年jeki入社 。約17年間、人事部門にて、採用、教育、評価、制度など人事全般を担当。 その後、JR局にて、「JR SKISKI」や「大人の休日俱楽部」のキャンペーンなどJR東日本関連の案件を担当した後、 第一営業局にて、JR東日本グループの商業施設の担当などを経て、 2019年7月、メディアマーケティングセンターのセンター長となり、現在に至る。