個人が自身のデータをコントロールする時代へ
ポストCookieのデータマーケティング<前編>

jekiデジタル VOL.5

写真左:株式会社DataSign 代表取締役社長 太田 祐一氏
写真右:jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役 直井 伸司

GoogleのCookie利用制限やAppleのプライバシー対策「ITP」など、プラットフォーマーによるユーザーの情報規制の厳格化が進んでいる。その背景にあるのは、データの取り扱いに対するユーザーの意識の変化や、欧米で先行する「GDPR」「CCPA」などの法規制強化の潮流だ。はたして今後、個人情報保護や法規制はどのように変化し、データマーケティングはどのような影響を受けるのか。プライバシーに配慮したパーソナルデータ活用の推進に取り組む株式会社DataSignの太田 祐一氏に、jekiメディアマーケティングセンター長の直井伸司とメディアマーケティングセンター兼デジタル・ソリューション局の荒屋虎之介が話を聞いた。

公正な個人データ活用を目指し、日本初の情報銀行「paspit」を開発

直井:太田さんが代表取締役社長を務めるDataSignは、国内初の情報銀行認定を受けた「paspit※」の開発元として注目され、ご自身も総務省での検討会委員などで精力的に活動されています。「公正な個人データ活用」をテーマとされるようになった経緯や現在取り組まれている活動などについてお聞かせいただけますか。
※paspit(パスピット)
パーソナルデータを安全に保管し、利用者の指示によりデータ活用企業に提供できる、PDS内蔵の情報銀行サービス

太田:大学で金融工学に目覚めたことをきっかけにデータ分析に興味を持ち、証券会社を経て、時事ニュースが市場に与える影響を分析して株の売買をする仕組みを提供しようと独立しました。しかしうまくいかずに、分析の対象を広告に移して広告業界の仕事をするようになり、米国オーディエンスサイエンス社にならってDMPを開発したんです。2010年頃なので、おそらく日本初と言えるのではないでしょうか。

荒屋:そのDMPは後に大手インターネット広告代理店に売却されて、今や国内最大級になっていますよね。かなり早い段階でDMP開発に携わっていらっしゃったのですね。

太田:はい、いろんな会社に採用されたのですが、だんだんと個人のブラウザ情報を収集することに対して疑問を感じるようになっていったんです。個人が特定されないのが前提とはいえ、「自分だったら嫌かもしれないな」と思うようになったんですね。それならデータは活用するとしても、公正に活用できるようにすればいいのではないかと。
そこで、経済産業省の日本版PIA試行調査にも参加し、「プライバシーに配慮したパーソナルデータ活用」について提案し、それらをきっかけとしてガイドラインが作成されました*1。しかし、ガイドラインでは強制力がなく、企業の個人データ活用はどんどん進み、Cookieを用いたネット広告も席巻するようになりました。でも、いつかはできなくなることも予想できたので、”同意”をとった上でCookieだけでなく個人情報とも紐付けて分析し、その人に合った提案ができれば、企業と個人の双方に望ましいのではないかと思い、個人側に立脚した「DataSign」を2016年に設立したわけです。
奇しくも同年4月に制定された「GDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)」や、2016年米大統領選でのケンブリッジ・アナリティカ事件*2などを機に、個人データ活用を取り巻く状況が一変しましたね。そうした変化を追い風として、個人が自身のデータを管理する「paspit」、企業がプライバシーポリシーの自動生成や同意管理を行う「webtru」を開発したというわけです。

*1)このガイドラインをベースとして、国際規格「ISO/IEC 29184 プライバシー通知と同意」が2020年に制定された。
*2)同名の政治コンサルティング会社がFacebook上の個人プロフィールを取得し、トランプ候補を支持する政治広告に利用していたとされるスキャンダル。

直井:「paspit」は国内初の情報銀行として認定されましたが、サービス内容などを簡単にご紹介いただけますか。

太田:様々な場所にある個人データを、個人の預託に基づき集約して安全に管理し、そのデータを使いたい企業からのオファーに応じることでインセンティブが得られるという仕組みです。

荒屋:私自身、「paspit」のアプリを利用して、今のところパスワードが管理できて便利だと思っているのですが、今後はどのようにデータを管理してくれるサービスとして成長していくのでしょうか。

太田:生活者は、自身のデータをすべて自分で管理するところまで求めてはいないんです。むしろ、「データを活用したい企業がデータ管理サービスをユーザーに提供すべき」という流れになってきており、たとえば、docomoの「パーソナルデータダッシュボード」では、ユーザーが自身のデータをどこに提供するかを選べるようになっています。ですので、現在は個人が直接「paspit」のユーザーになるというより、企業に「paspit」の機能を提供し、そこでユーザーが個人データの活用をコントロールできるという方が現実的ではないかと考えています。

Cookie規制が強化され、後継技術のカオス化が進む

直井:企業がデータをコントロールする時代から個人がコントロールする時代となる中で、まさに現在何が起きて、どのように変遷していくと思われますか。

太田:サードパーティCookieが使えなくなるというのは多くの方がご存じだと思います。その次はもう、混沌としていますね。広告業界がGDPRに準拠するために「透明性と同意の枠組み」の改定版として「TCF2.0」も注目されていますが…、まだうまくいくかどうかはわかりません。Cookieの代わりにメールアドレスをハッシュ化して使おうという動きがあったり、Googleではブラウザに個人データを保存する「プライバシーサンドボックス」を打ち出したり、様々な動きがありますが、それぞれ問題を抱えています。

直井:今の状況がカオスということはわかりますが、どういうカオスかはわかりにくいですね。

太田:プライバシー保護当局、そして”ウォールドガーデンズ”と呼ばれるFacebookやGoogleなどのプラットフォーム企業、私が”アドテクギルド”と呼んでいる広告関係アドテクのグループ、という三つ巴の攻防があります。しかし、エコシステムが複雑で、完全に敵味方ではないところが、さらに複雑さを加速させています。独立を保っているのがAppleで、「Appleは個人データを完全に出さないからAppleを使ってほしい」というスタンスです。広告ビジネスをやっていませんからね。

荒屋:データを活用したい企業からすると、Appleだけが自分たちのユーザーデータを囲い込んでいる感じなので、ちょっと厄介かもしれないですね。でも逆に、データを預ける側である生活者の中に、自分のデータが全てAppleに渡るのは不安…と思う方もいるのではないでしょうか。

太田:そうなんですよ。だからこそ、個人が自分で自分のデータを管理し、必要に応じてサービスやプラットフォームに動かせるというのが理想的だと思うんです。それがかなえば、必要な情報を届けてくれる相手に対しては、アドテクギルドにしろ、ウォールドガーデンズにしろ、ユーザーの自由意思で個人データを提供できるわけですから。絵空事に聞こえるかもしれませんが、そういう世界を本気で実現したいと考えているんです。

直井:すばらしいですね。でも、なかなかハードルは高そうです。

太田:ええ、私たちの視点はあくまで個人側であり、企業側の事情は全く違いますからね。現在はFacebookやGoogleなどの巨大プラットフォーム企業が、無料でサービスを提供する代わりに個人データを使って広告費を得ているという構造があります。もしくはCookieでサードパーティデータを集めて活用する。それらに対して個人が「No」と言って、そのデータを誰に使ってもらうか決めようとしても、その仕組みも受け皿もありません。しかし、誰もやっていないからこそチャンスとも言えるんです。ウォールドガーデンズの囲い込みビジネスを切り崩し、個人が自由に自分のデータをコントロールする仕組みを提供する。そこに私も協力できればと思っています。

直井:太田さんの取り組みは、まさに最先端だと思いますが、こうして伺っていると、日本の対応の遅れが気になります。個人情報保護法も2020年改正でいつ施行されるのか…。

太田:確かに遅れていますね。欧米でオンラインの識別子として規制対象になるCookieですが、日本では個人情報ではないとの認識で規制の対象ではありません。次の個人情報保護法では「Cookieが提供先で個人情報に結びついた時は同意が必要」ということになりましたが、これまでも暗黙でNGとされていたところが明文化されたに過ぎません。というわけで、ターゲティング広告でのCookie利用は法規制されていないのですが、グローバルなプラットフォーマーが日本でも規制を行うので、実質的にかなりの範囲で使えなくなります。

直井:プラットフォーマーの規制で振り回されるのではなく、日本ももう少し能動的にやっていきたいですね。その意味でも、太田さんが取り組まれている事業には大いに期待しています。

1年後が節目に! 早急に求められる広告会社やメディアの対応

直井:太田さんとはメディアプラットフォーム構築について、いろいろとやり取りさせていただいていますが、メディアや広告会社にはどのような対応が求められるとお考えですか。

太田:サードパーティCookie規制などで個人データの活用が難しくなれば、一般的な広告会社やメディアはターゲティング広告に影響が出て、マネタイズしにくくなるのは明らかです。早々に、どうやって個人に説明してデータを活用できる状態にするか、そのデータをどう活用してマネタイズにつなげていくか考える必要があります。その意味で、御社とメディアの効果をどう可視化し、プランニングや分析へ反映させるかなどの議論に一緒に取り組ませていただき、大変勉強になっています。

直井:ありがとうございます。やはり今後は、メディアとしての効果の可視化が必須になると思われるので、データの活用は不可避だと考えています。たとえば交通広告にしても、効果の可視化が広告主からも強く求められていますし、そのためには個人データも必要になってくるように思います。

太田:そうですよね。「この広告がこの移動と行動を促した」というのがわかれば、明確な効果の可視化がかないますが、個人としては「メディアの効果計測のために、なぜ自分の行動データを提供する必要があるのか」と感じる人も多いでしょう。しかし、自分のデータを提供することで自分に最適化された記事や広告を見せられるとしたら大きなメリットと言えます。そこをどう説明していくか。許可というより、自身でコントロールできることがわかれば能動的に受け取ってもらえるかもしれません。とはいえ、規制もある中で、どうやってその仕組みをつくっていくか、大きなチャレンジだと思います。

直井:まさに大きなチャレンジですね(笑)。直近では、まず現行のサービスをどうするかも悩ましいですよね。たとえばデータケミストリー社では、テレビの視聴ログデータ、インターネットのデータ、そして調査によるデータを統合する形でDMPの運営・サービス提供に取り組んでいるのですが、今後、どういう方向に向かうべきか思案しているところです。

太田:Cookieを必要とするサービスでは、皆さん戦々恐々とされていますね。GoogleがサードパーティCookieのサポートを2年以内でやめると言ったのが2020年の1月。ですので、普通に考えれば2022年1月と思われますが、前述のようにカオス化しており、「プライバシーサンドボックス」の仕様も決まらないので少し延長されるかもしれません。逆に、反トラスト法で検索エンジンだけでなくブラウザなども分社化すべきということになりつつあり、ChromeがGoogleを無視してサードパーティCookieを切ることもありうるかもしれません。いずれにせよ、2022年1月というのは一つの節目になりそうです。

荒屋:1年後ですね…、緊迫してきましたね。

直井:カオスで戦うべき相手がわからないというのはなかなか厳しい戦いです。それでもなんとか対応しなくてはならないわけで、皆さんのヒントとなるよう、議論をさらに進めていきたいと思います。

太田祐一
株式会社DataSign 代表取締役社長
DMPやMAツールなど企業主体でパーソナルデータを活用するシステムを開発してきたが、個人がコントロールできない不透明な状態でのデータ収集・活用に限界を感じ、データ活用の透明性確保と個人を中心とした公正なデータ流通を実現するため、DataSignを設立。DataSignが開発する「paspit」は初となる情報銀行の通常認定を受ける。

この他、一般社団法人MyDataJapan 常務理事、内閣官房 デジタル市場競争本部 Trusted Web推進協議会 委員、ISO/TC 307 Blockchain and distributed ledger technologies 国内審議委員会委員、総務省情報信託機能の認定スキームの在り方に関する検討会委員、一般財団法人情報法制研究所研究員を務める。

上記ライター直井 伸司
(jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役)の記事

NFT・ブロックチェーンが持つ、メディア・コンテンツ領域の可能性 ブロックチェーンの本質は「協業、共創」にある

jekiデジタル VOL.16

直井伸司(jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役)

忰田純一(コンテンツビジネス局 コンテンツプロデューサー)

NFT・ブロックチェーンが持つ、メディア・コンテンツ領域の可能性。ブロックチェーンの本質は「協業、共創」にある

【Advertising Week Asia 2022登壇レポート】 リアル×メタバースが持つ壮大な可能性

jekiデジタル VOL.15

直井伸司(jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役)

光富憲太朗(jekiエクスペリエンシャル・プロモーション局 部長代理)

【Advertising Week Asia 2022登壇レポート】リアル×メタバースが持つ壮大な可能性

秋葉原駅からはじまる「体験価値の融合」 Virtual AKIBA Worldによる“リアル×メタバース”への挑戦

jekiデジタル VOL.14

直井伸司(jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役)

秋葉原駅からはじまる「体験価値の融合」。Virtual AKIBA Worldによる“リアル×メタバース”への挑戦

jeki Digital

劇的な変化を続けるデジタル領域において、移動や体験、リアルとオンラインなど、jekiの特性をいかした取り組みの紹介や有識者との対談をお送りします。

>記事一覧はこちら

>記事一覧はこちら

  • 直井 伸司
    直井 伸司 jekiメディアマーケティングセンター センター長 兼 株式会社Data Chemistry 取締役

    1992年jeki入社 。約17年間、人事部門にて、採用、教育、評価、制度など人事全般を担当。 その後、JR局にて、「JR SKISKI」や「大人の休日俱楽部」のキャンペーンなどJR東日本関連の案件を担当した後、 第一営業局にて、JR東日本グループの商業施設の担当などを経て、 2019年7月、メディアマーケティングセンターのセンター長となり、現在に至る。 なお、現在は、㈱Data Chemistry、㈱JICの取締役を務める。