近藤民代(こんどう・たみよ)さん
神戸大学都市安全研究センター教授兼 工学研究科建築学専攻教授
1975年生まれ。2003年神戸大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了・博士(工学)。2003~2004年京都大学防災研究所巨大災害研究センターCOE研究員。2004~2008年9月ひょうご震災記念21世紀研究機構、人と防災未来センター研究員。主な著書に、『米国の巨大水害と住宅復興 ハリケーン・カトリーナ後の政策と実践』(日本経済評論社)、共著に『これからの住まいとまち 住む力をいかす地域生活空間の創造』(朝倉書店)。
住まい手の能動的な行為が住環境を豊かにする
現在取り組んでいる研究は、どのようなものですか。
近藤:家族の在り方やライフスタイルの多様化、気候変動などで社会が変わっていく中、住宅の研究者として2つのテーマに取り組んでいます。一つはさまざまな住まい方を捉えて、今後の住居像がどうなるか ということ。もう一つは、災害の多発化、巨大化に対して、住宅をどのように安全につくっていくかという防災視点の研究です。
私の専門は「居住環境計画学」というもので、住宅そのものではなく、住まい手と地域の関係を捉えます。居住という行為の集積が地域の環境をつくっていく、あるいは反対に、地域の環境が個人の居住に影響を与えるといった相互関係に着目しています。ですから、住居計画の研究だけでなく都市スケールの研究も行っており、居住が変わればまちが変わるということを前提にしています。
ご研究の中で、豊かな住環境の創出には「居住者自身が住環境を創造・維持・保全する主体として成長すること」が重要だと指摘しておられます。この点について、詳しく教えてください。
近藤:今の住環境は、行政や住宅メーカーなどが提供する住宅の中から選択するもの、つまり与えられるものだ、という受け身の形になっています。居住者にとって、住宅はつくるものではなく、買うものになってしまっています。しかし私は「こういう暮らしがしたい」と、住まい手が能動的に行動することで生活はもっと豊かになると考えています。一時的な“お試し移住”でもいいので、居住者が自分の住まい方を切り拓いてみる。すると今よりも暮らしが豊かになり、自然と次の欲望が生まれていきます。そうやって、住環境は豊かになっていく、ということです。
国が定住を社会政策として展開し、住宅産業と一体となってシステムに組み込んできたことによって、人々は、住宅は与えられるもの、あるいは与えられた中から選択するだけのものと信じさせられてきた。その結果、自分が住まいづくりに関わって生活が楽しくなった、と実感できる機会は減ってしまいました。そうなると、なかなか行動に移さなくなります。そのことが、主体的に住環境に関わる際のハードルになっていると思います。
環境を変えることによって新たな満足感や価値が生まれる
定額で多拠点居住を始められるサービス「ADDress」※1の利用者を対象とした共同研究※2をなさっています。住まい手の能動的な行動の中でも多拠点居住に着目した背景を、教えてください。
※1 全国に、ワーケーションや生活に必要な設備が完備された拠点がある、住まいのサブスクサービス。地域でいつもと異なる日常を過ごす「異日常」を気軽に体験できるという
※2 近藤民代,室﨑千重,前田充紀,タクティカル・ハビテーションが切り拓く遊牧的住まい方:定額住み放題サービスの多拠点生活者とシェア空間を対象として,住総研研究論文集・実践研究報告集,2023,49巻,P.13-23
近藤:かつての建築計画や住宅政策は、戦後の住宅不足を受けたものです。夫婦に2人の子どもという「標準家族」が想定され、それに適した間取りの家を安く早く大量に造っていくことが、住居計画や住宅産業、行政の役割でした。
しかし今は、大規模な政策や計画で国民の大多数が幸せになるという考え方は、さほど必要とされていないのではないでしょうか。そんな中で、アドレスホッパーや多拠点居住者と言われる人々の存在を知り、彼らが目指すライフスタイルや暮らし方を把握することが、これからの政策や建築計画を描くプロセスとして必要なのではと考え、多拠点居住の研究に取り組むことにしました。
多拠点居住という住まい方には、何に対してどんな影響があるでしょうか。
近藤:大きくは、個人への影響と地域への影響という、2つの側面で捉えています。まず、個人への影響についてお話しします。建築や場所というものは、そこにいる人たちの役割を固定化します。例えば、会社における役職や家での父親、母親などです。ADDress利用者へのヒアリングで、週末に1人で利用するという女性は、母親という家族の役割から解放されると話していました。母親はこうあるべきという、日常の中で自分が置かれたポジションが取り払われ、素の自分で過ごすことは幸福につながるのではないかと思います。移動することは環境を変えるということですが、役割から解き放たれることでもあります。
それからもちろん、環境の変化が個人に与える刺激は大きいです。生活を楽しめたり、仕事のモチベーションが上がったり、発想の転換になったり。環境の変化には、自らを取り巻く人間関係の変化と、地域や風景といった外部環境の変化があります。
人間関係の変化という点では、多拠点居住者同士のコミュニケーションによって刺激を受けることが、満足感につながります。「今までのコミュニティにいなかったタイプの人と出会い、価値観が広がった」 「職場の人とはしない話や相談ができ、固定観念が取り払われた」など、他の利用者との出会いや交流によって自分自身に変化が生まれることを、ポジティブに受け止めているようです。
外部環境の変化で言うと、例えば静岡あたりに行けば仕事の合間に富士山が眺められるといった、それまでの日常とは大きく異なる変化が起こります。そのような豊かな自然や地域の魅力を体験することに、価値を感じるのでしょう。しかし、求めているのは風光明媚な場所というよりも、日常とのギャップなんだと思います。
元の生活の場を豊かにする仮住まい体験
移動は、やはり都心から地方というパターンが多いのでしょうか。
近藤:ADDressの拠点がある場所の中から、そのときの気分や過ごせる期間などの状況に合わせて、行ける所に行っているようです。利用者の中には、環境を変えることが目的なので長い距離を移動して 地方都市に行かなくてもいい、という人もいました。都心から鎌倉くらいなら気軽に行けて、帰ろうと思えばすぐに帰ってこられる良さがあります。
役割からの解放や環境変化による刺激のほかに、多拠点居住が個人に与える影響はありますか。
近藤:違う拠点、違う地域に住んで戻ってくると、家の中や暮らし方、生活パターンなどが変わります。環境が変わると行為が変わりますから、働き方や家族との住生活も変わるのです。例えば「ベランダに椅子を置くようになった」「屋外で仕事をすることが増えた」とか、「趣味の時間が増えた」「地域の人や職場の人を家に招くようになった」などの変化が見られました。また、地域の中での行為も変わり、地域の祭りの集まりやサークルに参加したり、よく散歩したりするようになるなど、自分の住むまちの良さを再発見しています。
このようなことから、移動先での仮住まいが、元の生活の場である「ホーム」の暮らしを豊かにする起爆剤になるのではないかと考えています。
聞き手 松本阿礼/ 取材・文 初瀬川ひろみ
<後編に続く>
※駅消費研究センター発行の季刊情報誌『EKISUMER』VOL.58の記事を一部加筆修正の上、再構成しました。固有名詞、肩書、データ等は原則として掲載当時(2023年12月)のものです。
町野 公彦 駅消費研究センター センター長
1998年 jeki入社。マーケティング局(当時)及びコミュニケーション・プランニング局にて、様々なクライアントにおける本質的な問題を顧客視点で提示することを心がけ、各プロジェクトを推進。2012年 駅消費研究センター 研究員を兼務し、「移動者マーケティング 移動を狙えば買うはつくれる(日経BP)」を出版プロジェクトメンバーとして出版。2018年4月より、駅消費研究センター センター長。