健康に寄与するまちづくりと人の動きを中心に見せる景観づくり
〜早稲田大学副総長・後藤春彦さんに聞く、健康と都市・まちづくりのあり方〜<前編>

PICK UP 駅消費研究センター VOL.75

「人生100年時代」といわれる現代、人々が元気に活躍し続けられる社会づくりを目指す中で、「健康」に注目が集まっています。沿線活性化を進める鉄道会社は、生活者の健康にどう向き合っていけばよいのでしょうか。都市計画や景観設計などを専門とし、「医学を基礎とするまちづくり」に取り組む早稲田大学理工学術院の後藤春彦教授に、健康と都市・まちづくりのあり方についてお話を伺いました。今回はその前編です。
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後藤 春彦さん
早稲田大学理工学術院 創造理工学部 教授兼同大副総長
1957年富山県生まれ。早稲田大学総合研究機構「医学を基礎とするまちづくり研究所」所長。工学博士。日本建築学会賞論文賞(2005)、日本都市計画学会賞計画設計賞(2011)、グッドデザイン賞(2010)ほか受賞。著書に『無形学へ かたちになる前の思考』(水曜社)、共著に『医学を基礎とするまちづくり Medicine-Based Town』細井裕司、後藤春彦(水曜社)など。

未病を治す環境を備え、医療費も抑制するまちづくり

「医学を基礎とするまちづくり(Medicine-Based Town 以下MBT)」研究の概要について教えてください。

後藤:奈良県立医科大学の細井裕司教授(現理事長兼学長)が提唱した「住環境によって病気を予防し、健康を維持する」という「住居医学」の概念を都市へと発展させ、2012年から奈良県立医科大学と早稲田大学が共同で研究を開始しました。両大学が協定を結び、双方に「MBT研究所」という同じ名前の研究所を設立しています。人間の健康と都市の持続性を追求していくことをテーマとして、「ひとも元気に、まちも元気に」をスローガンに掲げています。

早稲田大学のMBT研究所では、どのようなことを目指して研究に取り組んでいるのでしょうか。

後藤:医療費の削減を念頭に置き、多世代を対象とする研究に重点を置いています。少子高齢化が進む日本にとって、健康の維持は経済に直結する問題です。令和元年度の国民医療費は約44.4兆円。これは国民所得の1割強に相当する規模であり、医療費が日本経済を大きく圧迫していることが分かります。

では、どうしたらそれを抑えられるのか。最も医療費が高額なのは60〜70代ですから、そこが下がれば全体の医療費も下がります。しかし、既に医療が必要な世代に働きかけるのでは、遅い。40〜50代の未病や生活習慣病を改善していくことで、10年後、20年後の医療費を下げることができるのではないかというのが、我々の研究の発想の原点です。そこに対し、都市計画やまちづくりでは、何ができるかを考えています。健康をテーマに都市環境を整えていくことは、未病の方々の生活習慣に対する働きかけだとお考えいただいていいでしょう。

医療費の削減は、高額な高度医療で難しい病気を治す医者の仕事ではないと思います。未病を治す環境を備えたまちをつくることによって健康寿命が延び、高度医療に依存することがなくなり、医療費が抑制されるのです。医療費が下がれば、経済全体にゆとりが生まれます。

歴史的な町並みの中に医療や健康の拠点を埋め込む

MBTの具体的な研究事例を教えてください。

後藤:奈良県橿原(かしはら)市今井町で進めている、「今井町アネックス」プロジェクトというものがあります。今井町は奈良県立医科大学の目と鼻の先に位置しており、中世の自治都市だった場所です。重要伝統的建造物群保存地区に選定されているエリアには、東西約600m、南北約310mの地区内におよそ500棟の伝統的な建造物が残っています。これだけの歴史的町並みが残っている所はなかなかないのですが、高齢化や人口減少が進み空き家が増えつつあります。そこで、空き家を活用して今井町に医療や健康の拠点を埋め込み、地域の健康づくりと町並みの整備を同時に実現させようというのが、このプロジェクトです。

今井町の町並み。地域包括ケアの拠点や、ICT(情報通信技術)を活用した健康を見守る実験用の住宅などもある

まず行ったのが、早稲田大学MBT研究所の今井町分室の開設です。空き家だった長屋を改修した分室に学生が常駐し、健康測定やワークショップを行うなど、3年ほど市民に開放していました。また、別の空き家は奈良県立医科大学の外国人研究者のゲストハウスに改修され、そこに集う先生方が今井町の人々の健康相談に応じたりしています。他にも、放課後児童クラブ、女性専用のシェアハウスなどを、空き家を活用する形でつくり、子どもや新しい住民を町に呼び込んでいます。中世の町ですから道が狭く、車は入りにくい。歩行を前提につくられているので、とても歩きやすいです。病院の廊下で歩行訓練をしてリハビリするよりも、このような町の中でトレーニングをした方が、はるかに人間的ではないかという提案もしています。

早稲田大学MBT研究所の今井町分室。奈良県立医科大学の学生がアロマテラピーや漢方医学についてのワークショップなども行っていた

取り組みを始めてから、町は変化しましたか。

後藤:プロジェクトを開始してから、新規の移住者や町並みを生かした店舗が増えており、空き家はそれほど増えていません。新たに入ってくる住民に対しては、「まちなじみガイドブック」というものを作って配布しています。これは、移住者へのヒアリング調査をもとに、人間関係など困ったことをどのように解決したかをまとめた事例集です。古い町ですから閉鎖的な部分もあります。このようなツールを用意するなど、スムーズに町になじんでもらえるような取り組みも行っています。

他にも事例があれば、教えてください。

後藤:漢方薬のメッカである奈良県で、農業の6次産業化を目指す研究プロジェクトを行っています。6次産業化は、1次産業、2次産業、3次産業の連携で行うもので、通常は農・工・商連携による6次産業化ですが、生薬を生産し漢方薬を製造して漢方医療を行うという、農・工・医の連携もあるのではないかと考えました。そこで、我々は漢方医療を軸とした農村健康観光を提案しています。

農村健康観光のモニターツアー。古くから漢方薬で知られる奈良で栽培される大和当帰の薬草摘み体験では、葉に含まれる油分で手がすべすべになるという

例えば、大和当帰(やまととうき)という薬草を摘む農作業からスタートし、ガイドの案内による集落の散策や、薬草のワークショップなどに参加して、ランチを食べるというツアーです。参加者の医学的効果を測定したところ、農作業や散策の後などで精神的疲労度が下がっていることが確認できました。恐らく、まちのエキスパートに地域情報などを語ってもらい、頭を回転させながら散策すると、精神的疲労の回復に効果があるのではないかと考えています。ただこれは、あくまで3回の実証実験の結果であり、ルートの違いによる結果の差異や効果の持続性、頻度と飽きの問題など、今後さらに調査をしていく必要があります。

聞き手 松本阿礼/ 取材・文 初瀬川ひろみ

<後編に続く>

※駅消費研究センター発行の季刊情報誌『EKISUMER』VOL.57の記事を一部加筆修正の上、再構成しました。固有名詞、肩書、データ等は原則として掲載当時(2023年9月)のものです。

PICK UP 駅消費研究センター

駅消費研究センターでは、生活者の移動行動と消費行動、およびその際の消費心理について、独自の調査研究を行っています。
このコーナーでは、駅消費研究センターの調査研究の一部を紹介。識者へのインタビューや調査の結果など、さまざまな内容をお届けしていきます。

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  • 町野 公彦
    町野 公彦 駅消費研究センター センター長

    1998年 jeki入社。マーケティング局(当時)及びコミュニケーション・プランニング局にて、様々なクライアントにおける本質的な問題を顧客視点で提示することを心がけ、各プロジェクトを推進。2012年 駅消費研究センター 研究員を兼務し、「移動者マーケティング 移動を狙えば買うはつくれる(日経BP)」を出版プロジェクトメンバーとして出版。2018年4月より、駅消費研究センター センター長。

  • 松本 阿礼
    松本 阿礼 駅消費研究センター研究員/お茶の水女子大学 非常勤講師/Move Design Lab・未来の商業施設ラボメンバー

    2009年jeki入社。プランニング局で駅の商業開発調査、営業局で駅ビルのコミュニケーションプランニングなどに従事。2012年より駅消費研究センターに所属。現在は、駅利用者を中心とした行動実態、インサイトに関する調査研究や、駅商業のコンセプト提案に取り組んでいる。

  • 和田 桃乃
    和田 桃乃 駅消費研究センター研究員 / 未来の商業施設ラボメンバー

    2019年jeki入社。営業局にて大規模再開発に伴うまちづくりの広告宣伝案件、エリアマネジメント案件全般を担当し、2024年1月から現職。これまでの経験を活かし、街や駅、沿線の魅力により多角的に光を当てられるような調査・研究を行っている。