健康に寄与するまちづくりと人の動きを中心に見せる景観づくり
〜早稲田大学副総長・後藤春彦さんに聞く、健康と都市・まちづくりのあり方〜<後編>

PICK UP 駅消費研究センター VOL.76

「人生100年時代」といわれる現代、人々が元気に活躍し続けられる社会づくりを目指す中で、「健康」に注目が集まっています。沿線活性化を進める鉄道会社は、生活者の健康にどう向き合っていけばよいのでしょうか。都市計画や景観設計などを専門とし、「医学を基礎とするまちづくり」に取り組む早稲田大学理工学術院の後藤春彦教授に、健康と都市・まちづくりのあり方についてお話を伺いました。今回はその後編です。
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後藤 春彦さん
早稲田大学理工学術院 創造理工学部 教授兼同大副総長
1957年富山県生まれ。早稲田大学総合研究機構「医学を基礎とするまちづくり研究所」所長。工学博士。日本建築学会賞論文賞(2005)、日本都市計画学会賞計画設計賞(2011)、グッドデザイン賞(2010)ほか受賞。著書に『無形学へ かたちになる前の思考』(水曜社)、共著に『医学を基礎とするまちづくり Medicine-Based Town』細井裕司、後藤春彦(水曜社)など。

まちへの関心を高めることが主観的健康感の上昇につながる

『医学を基礎とするまちづくりMedicine-Based Town』(以下MBT)は人の健康と都市の持続性をテーマにしているということでしたが、都市環境は健康とどんな関係がありますか。

後藤:まずは健康とは何かについて話したいと思います。健康は、「ひとり(個人)の健康」と「みんな(社会集団)の健康」に分けられ、それぞれに客観的ないしは主観的な見方があります。客観的健康は、医者の領域です。一方で、朝起きたときに体が軽いとか重いなどと感じるのは、個人の主観的健康感です。そういう主観的健康感がたくさん集まっていくと、コミュニティ全体の健康感が生まれるのではないかと思います。これを、私は「お互い様の健康感(間主観的健康感)」と呼んでいます。MBTでは、この間主観的健康感を研究したいと考えています。

後藤氏の考える「いくつもの健康(感)」。左の縦軸が医療の範囲である客観的健康、右の縦軸が主観的健康感を示す。主観的健康感を高めうるファクターとして、個人の場合はいえ・建築、社会集団の場合にはまち・都市が考えられるという(後藤春彦氏作成)

主観的健康感が高い人は、病気や手術の後の生命予後が長いことが明らかになっています。けれど一般的な病院では、主観的健康感を上げる取り組みは行いません。だからこそ、都市の側から主観的健康感を上げることを目指したいわけです。

その手がかりを探るため、全くプロフィールの違う奈良県内の7つのまちで調査を行いました。住民の認知環境、物理的環境、性別、年代と主観的健康感の関係を調べたのです。すると、どれだけ自分の暮らすまちを知っているかという認知環境だけが、主観的健康感と相関を持つことが分かりました。三段論法になりますが、自分の暮らしているまちの環境に興味を持ち、それを認知している人は主観的健康感が高くなり、生命予後が長くなると予想されるのです。

まちの環境を認知するよう工夫を凝らすと、主観的健康感を高められる可能性があるのですね。

後藤:3つくらいの段階があると思っています。第1段階は、そのまちの地形や歴史、風土に根差したルートを、ガイドの説明を聞くなど頭を回転させながら散策すること。これは、主観的健康感にいいことが分かりつつあります。 そして、そのルートを日常の風景として共有していくことが第2段階です。さらに第3段階として、バーチャル空間を認知環境の大きな手がかりにすることができれば、高齢で外出が不自由な人でも主観的健康感を高めていけるかもしれません。これは、まだ妄想の域ですが。

自分が暮らすまちに景観の良さを求める人々

人が居住地を選択する際、どんなニーズがあるとお考えですか。

後藤:コロナ禍により、テレワークが広がりました。テレワークによる居住ニーズの変化について独自に調査を行ったところ、以前は常に上位にあった「交通利便性」の順位が下がり、「景観・まちなみの良さ」の順位が上がりました。テレワークによって自宅周辺で過ごす時間が長くなり、コロナ禍で散策する機会が増えたことで、身の回りの景観やまちなみに対しての関心が高まった結果でしょう。また、防災性に対するニーズも上がっていて、景観やまちなみも含め、自分が暮らす周辺の地域環境に対するニーズが上昇していると言えます。

「景観・まちなみの良さ」へのニーズが高まっているということですが、景観づくりについてのお考えもお聞かせください。

後藤:最近は、人々こそが新しい景観要素ではないかと考えています。人々の振る舞いもデザインの重要な対象であり、人間の動きをいかに見せるかということも景観デザインの領域です。

例えば、渋谷のスクランブル交差点は、今や東京の代表的な景色となっています。外国人観光客が東京のどこで写真を撮っているかを調べると、渋谷のスクランブル交差点が圧倒的に多い。新宿や池袋などであまり撮られていないのは、スクランブル交差点のように人々の振る舞いを俯瞰的に眺められる視点場がないからだと思います。渋谷は地形的に谷底だということもあり、そのような場所がいくつもある。それが、渋谷という街の魅力になっているのではないでしょうか。人の流れを上手に見せることが、これからの景観づくりの大切なポイントになると思います。

海外では“Shibuya Crossing”として知られる渋谷駅前のスクランブル交差点。信号が青に変わった瞬間、四方から一斉に歩き出す人々の姿を捉えようとカメラを構える外国人観光客の姿が後を絶たない

人の振る舞いも景観デザインである、というのは非常に面白いですね。

後藤:人間が発信している情報は、実はものすごい量なんです。例えば、原宿・竹下通りを歩く人々の写真と、巣鴨地蔵通りの人々の写真を切り抜いて、背景を交換してみる。すると、竹下通りの若者が地蔵通りを歩いているような写真になるのですが、それだけで地蔵通りが急にファッショナブルな街に見えるのです。逆に、竹下通りにおじいちゃんやおばあちゃんが入ってくると、やはり印象が一変します。人間が発信するそのような情報を、うまくデザインできないかということを考えています。

企業がまちづくりの担い手となりまちの経営に責任を持つ時代

駅や鉄道会社は、まちづくりでどのような役割を担うことができるでしょうか。

後藤:人の流れの見せ方ということを考えるときに、駅はとても重要です。ちょっとした段差や圧倒的な気積(空間の大きさ)などによって、俯瞰的に人々の振る舞いを見せる造りにすることができます。京都駅は大きな気積が確保されていて、俯瞰的に人々の動きを見せる工夫がされていますね。フランスのTGV(高速鉄道)シャルルドゴール空港駅には、上からホームの全容が見渡せる視点場があります。また、南仏マルセイユのオールドポートでは、古い港の前の広場の上に鏡の屋根が付けられています。おかげで、広場を俯瞰的に見下ろしているような景色が、頭上に見えるわけです。人々はそこに集まり、広場にたたずむ自分の姿を鏡の中から眺めて時間を過ごしています。そのように、視点場をいくつもつくったり、壁をガラスにするなど透明にして死角をなくしたり、天井を鏡にして人の動きを見せたりなどして、動く人々を景観の中心に据えていくことができます。

原広司設計の京都駅構内は、ガラス張りのコンコースと171段の大階段が特徴。大階段上部や反対側の烏丸小路広場からは駅構内が一望できる(写真提供:京都駅ビル開発株式会社)

また、駅前広場について言うと、これからバスやタクシーの自動運転化が進むと広場の在り方も変わっていくのではないかと思います。モビリティの変化に合わせて、可変的で柔軟な見直しを進め、単なるロータリーではなく、より人間に開放できるような場にしていくことが望まれるのではないかと思います。

地域の健康づくりという点においては、いかがでしょうか。

後藤:ウォーカビリティは、健康的なまちづくりに欠かせない要素です。まちの散策が主観的健康感を高めうるという話もしましたが、歩きの質も求められていて、どんなルートを歩くかということが重要になってきます。バイパスのような大きな道路沿いを歩くだけでは、精神的な疲労回復効果はおそらく期待できません。鉄道沿線は駅ごとにプロフィールが違いますから、主観的健康感を高める散策ができる駅や駅勢圏※のようなものが見えてくると面白いと思います。
※駅を中心に、その駅を利用すると期待される旅客、貨物の需要が存在する範囲

まちづくりの担い手として、行政ではなく企業に期待することはあるでしょうか。

後藤:人口減少時代において税収の大幅増は期待できない中、民間の力は重要です。今後は、企業がまちづくりの担い手として活躍していくことになるでしょう。そして、街が持続性を保つためには、街のBCP(Business Continuity Plan 事業継続計画)の策定が必要であり、そこには企業的なマインドが生かされるべきです。そういう意味でも、企業の参画は進んでいくはずです。一方で、新自由主義がもたらすさまざまな課題もあります。刹那的なまちづくりではなく、それぞれのまちの経営に対して、企業が責任を持つ時代になっていくのではないかと思います。

聞き手 松本阿礼/ 取材・文 初瀬川ひろみ

<完>

※駅消費研究センター発行の季刊情報誌『EKISUMER』VOL.57の記事を一部加筆修正の上、再構成しました。固有名詞、肩書、データ等は原則として掲載当時(2023年9月)のものです。

PICK UP 駅消費研究センター

駅消費研究センターでは、生活者の移動行動と消費行動、およびその際の消費心理について、独自の調査研究を行っています。
このコーナーでは、駅消費研究センターの調査研究の一部を紹介。識者へのインタビューや調査の結果など、さまざまな内容をお届けしていきます。

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  • 町野 公彦
    町野 公彦 駅消費研究センター センター長

    1998年 jeki入社。マーケティング局(当時)及びコミュニケーション・プランニング局にて、様々なクライアントにおける本質的な問題を顧客視点で提示することを心がけ、各プロジェクトを推進。2012年 駅消費研究センター 研究員を兼務し、「移動者マーケティング 移動を狙えば買うはつくれる(日経BP)」を出版プロジェクトメンバーとして出版。2018年4月より、駅消費研究センター センター長。

  • 松本 阿礼
    松本 阿礼 駅消費研究センター研究員/お茶の水女子大学 非常勤講師/Move Design Lab・未来の商業施設ラボメンバー

    2009年jeki入社。プランニング局で駅の商業開発調査、営業局で駅ビルのコミュニケーションプランニングなどに従事。2012年より駅消費研究センターに所属。現在は、駅利用者を中心とした行動実態、インサイトに関する調査研究や、駅商業のコンセプト提案に取り組んでいる。

  • 和田 桃乃
    和田 桃乃 駅消費研究センター研究員 / 未来の商業施設ラボメンバー

    2019年jeki入社。営業局にて大規模再開発に伴うまちづくりの広告宣伝案件、エリアマネジメント案件全般を担当し、2024年1月から現職。これまでの経験を活かし、街や駅、沿線の魅力により多角的に光を当てられるような調査・研究を行っている。