能作 淳平さん
富士見台トンネル オーナー
1983年富山県生まれ。建築家、ノウサク ジュンペイ アーキテクツ代表。2016年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では、日本館出展作家として審査員特別賞を受賞。クラウドファンディングで資金を募り、2019年に「富士見台トンネル」を開業する。現在は建築事務所を兼ねた店内でパソコン作業や会議をしつつ、店頭で出店者や来店客とコミュニケーションを重ねる。
始まりは、“郊外”で経験した家族や友人のキャリアの課題から
「富士見台トンネル」をオープンした経緯を、改めて教えてください。
能作:最初からシェアスペースを作ることを目的にしていたのではなく、自分の家族や友人たちのキャリア形成の課題をどうにかしよう、というところから始まっています。僕が国立市の富士見台団地に引っ越してきたのは約10年前。長男の誕生を機に、子育てがしやすそうな郊外に、都心から移り住みました。団地なのでご近所さんができる、街の人とつながれると期待していたのですが、そうでもなかった。自宅で開いていた設計事務所をもっとオープンにできないかと、事務所も入るシェア型商店を作ることを思いつきました。
開店した理由の一つには、郊外でゆったりと暮らしながら働こうというワークライフバランスが崩れてしまったこともあります。仕事の打ち合わせが入ると、その度に都心へ通わなければいけません。妻も2人目の子どもが生まれたタイミングで、都心で積んでいた仕事のキャリアを手放して、全く異なる職種の地元のパートタイムに切り替えることになりました。郊外住宅地での生活は思っていたものとは違い、都心に属している感じが否めませんでした。
近隣のパパ友やママ友にも話を聞くと、面白い経歴やすごい能力があるのに、それを生かせずに半分キャリアを諦めているという人も少なくなかった。都心で働き、寝るために郊外へ帰るという都市構造がそうさせているなと思いました。ならば、いろんな人が週1からでも気軽にスキルを発揮できる場所を、生活の場である郊外に作ればいいと。妻はもともとワインの仕入れの仕事をしていたので、設計事務所の横で月に何日かバーを開いて、ほかの出店希望者とも場所をシェアしていけばいいのではということになりました。
「富士見台トンネル」という店名は、どこから着想されたのでしょうか?
能作:「仕事をするのに通勤しなきゃいけない?」「会社に勤めるってどういうこと?」という疑問から始まったので、「みんなで仕事というものを考えよう」が一番のテーマでした。妻や友人たちが直面していたキャリア形成の課題があったように、街の潜在的な人的資源をはじめとして、地元の名産品や開発前の街の歴史など、多くの財産が埋もれていました。それをちゃんと掘り起こしてつなげていくことをコンセプトにして、店名を「富士見台トンネル」にしました。
商店というフィジカルな仕事で、生活者の視点を取り戻す
シェアビジネスを始めるにあたり、「商店」という形式を選んだのはなぜでしょうか。
能作:いまは、離れた場所の出来事をニュースとしてスマホで見る、あるいはこのインタビューも、昔の記憶を整理して語るという、抽象的な作業が多い。それで、目の前で物を直接やり取りして食べるというような、具体的でフィジカルな行為を伴う「商い」をやりたかったんです。
特に僕の本業である建築設計の仕事は概念上の作業で、神様じゃないですけど、道路や住宅も「線を引く」だけでできてしまうようなところがある。だからどうしても「暮らし」を抽象的に考えてしまいがちです。図面上で整合性が取れても、全部フィクションだと使いにくい設計や楽しくない空間になってしまう可能性があります。だから、自分は一人の生活者なんだという視点を忘れないでいることが大事だと思うんです。フィジカルなことをもっと自分の身近に取り戻すには、商店という形が非常に合っていました。
職住近接という言葉がありますが、店づくりで意識したのは、「働く場所」と「住む場所」を近づけること。仕事と住居を近づけようとするとき、暮らしに密着した商店のような仕事が大事になると思うんです。富士見台トンネルは、会社勤めの人も週末を使ってそんな働き方ができる場所です。地元で働く場ができれば人間関係だって生まれるし、フィジカルに働ける環境は街とつながることができます。僕もやってみて初めに感じたのは、こんなに多くの人に街中で挨拶されるようになるんだということでした。
そのような働き方が実現すると、仕事や暮らしはどのように変わるのでしょうか。
能作:私見ですが、自分の地元で働くようになったり、本業とは違った副業を持ったりすると、勇気が出るはずです。仕事が一つだけだと、調子がいいときも悪い時もその仕事をやり続けるしかないわけで、守りに入ってしまうと思うんです。つまり、自分の本当にやりたいことを100%やるというより、職場での立場や収入面を考えて賢く立ち回らざるを得なくなる。でも2つの仕事を軸にしておくと、生活を守るための忖度をしなくてもいい。そうすることで、常にクリエイティブな姿勢でいられるんだと思うんです。クリエイティブな姿勢はお客さんの本当に欲しかったものを提供することにつながり、満足度を高めます。自分の街でも仕事を持つと、働くマインドが変わるし、本業の方にも好影響があるんじゃないでしょうか。
オープンから4年経ちましたが、街や店に何か変化を感じますか?
能作:来店客の方には、富士見台トンネルのおかげで街に遊べる場所が増えて面白くなったという感想をいただきます。そんな印象になっているのが、すごくうれしいですよね。会員さんからも、街に根付いた感じがしてうれしいという話を聞いたり、実際にここの会員さんが近くに自分の店を構えたり。出店者同士、仕事を手伝いあったり、僕の知らないところでコラボレーションしていたり、ということもあります。
僕としても富士見台トンネルというシェア型商店のキャラクターや、独自の経済圏が生まれている感じがしていて、面白いなと思うんです。ちょっとおこがましいかもしれませんが、「街にできた新しい飲食店はトンネル出身者の店だね」と、ある種のカルチャーっぽくなっていくとうれしいですね。出店者が「トンネル」を抜けたら違う自分になっている、みたいになればすごくいいなと。トンネルを掘ってどこに出るのか……でも気づけば思わぬところに抜けているってなると楽しいですよね。
聞き手 松本阿礼/取材・文 中村さやか/撮影 徳山喜行
〈完〉
※駅消費研究センター発行の季刊情報誌『EKISUMER』VOL.58掲載のためのインタビューを基に再構成しました。固有名詞、肩書、データ等は原則として掲載当時(2023年12月)のものです。
町野 公彦 駅消費研究センター センター長
1998年 jeki入社。マーケティング局(当時)及びコミュニケーション・プランニング局にて、様々なクライアントにおける本質的な問題を顧客視点で提示することを心がけ、各プロジェクトを推進。2012年 駅消費研究センター 研究員を兼務し、「移動者マーケティング 移動を狙えば買うはつくれる(日経BP)」を出版プロジェクトメンバーとして出版。2018年4月より、駅消費研究センター センター長。