いよいよ新館オープン!「てっぱく」の新たなチャレンジ!鉄道博物館の過去、現在、未来。(前編) 鉄道博物館館長 宮城利久氏×筑波伸夫(ジェイアール東日本企画)

▲写真右より、鉄道博物館館長 宮城利久氏、ジェイアール東日本企画 筑波伸夫

2007年の開館から11年目を迎えた今年5月、累計来館者数1000万人を突破した鉄道博物館に、いよいよ新館がオープンする。鉄道博物館館長である宮城利久氏と、元大宮駅長でありジェイアール東日本企画常務取締役の筑波伸夫が、日本の鉄道の歴史を紐解きながら、鉄道博物館の魅力について語ります。

筑波
まず本題に入る前に鉄道博物館がどうして大宮の地にあるのか、その理由から始めましょうか。この物語は日本の鉄道の歴史にも密接に関わってきます。時代はずいぶんさかのぼりますが、宮城館長、お願いできますか?


宮城
1872年(明治5年)、新橋・横浜間に日本で最初の鉄道が開通しました。当時は日本に鉄道の技術がなかったので、蒸気機関車や客車、線路技術にいたるまですべて外国から輸入したものでした。
その後、国の主導により、各地に鉄道が敷かれていくのですが、1877年(明治10年)に起きた西南戦争によって、政府にお金がなくなってしまった。そこで民間の力を借りようということで、民営で鉄道を造ることを国が認めたわけです。

そうしてできた私設鉄道の第一号が日本鉄道株式会社。その会社が一番最初に手がけたのが、第一区線(現在の高崎線)なんですね。この線は最初、上野から熊谷までが敷かれました。これが1883年(明治16年)の話です。間の停車駅が王子、浦和、上尾、鴻巣の4つあったんですけれど、大宮は入っていない。そういうこともあって、大宮自体が町並みが廃れかけていたところに第二区線(現在の東北線)を敷くことになり、ぜひ大宮を起点にしようと地元の名士たちがこぞってキャンペーンを張ったんですね。
その代表が白井助七という人で、彼が私財を投げ打って大宮から鉄道を走らせる運動をしたわけです。そのおかげで最終的に大宮が第二区線の起点となることが決まり、その後分岐点になったこともあって、大宮工場(現在の大宮総合車両センター)をはじめ、大宮操車場、貨物駅など、大宮に鉄道の主要な施設がたくさんできたわけです。そういう意味で、大宮は鉄道の町として発展してきたということになろうかと思います。

筑波
鉄道を誘致したいという仲間で私財を投じた名士は他にも何人かいました。なかでも白井助七は、鉄道を誘致することで大宮は100年栄えると。そういう先見性みたいなものを持っていた人なんですね。さいたま市民会館おおみやに、そういうことの書かれた石碑があります。

宮城
ソニックシティの前の鐘塚公園にも銅像が建っているんですよ。そこに当時協力した人の名前がある。

筑波
鉄道を誘致することで、工場を含めて大宮の機関区、乗務員区などの運転系統や、駅や保線などの営業・設備系統など、いろいろな人たちがここに働くわけだから、社宅ができて人口が増え、消費が増えるということです。それから次の段階でいうと、1982年(昭和57年)6月の東北新幹線大宮~盛岡間開業、同年11月の上越新幹線大宮~新潟間開業ですね。それでさらに地元が発展した。だから「鉄道のまち大宮」と地元の方々がおっしゃるのは、こうした歴史があってのことだと思います。
ちなみに大宮という地名は、武蔵国一の宮・氷川神社を「大いなる宮居」とあがめたことに由来するといわれています。それだけ格式の高い場所だということも知っておくと、ちょっと興味深いでしょう。この大宮の地に、なぜ11年前に鉄道博物館ができたのか、というお話を次に伺いたいのですが。

宮城
日本に最初の鉄道が開通した当時、鉄道を発展させていくために、その歴史をきちんと残しておかなければならないと考えていた人たちがいるんですね。それで「鉄道開通50周年記念」と銘打って、1921年(大正10年)に今の東京駅の高架下に鉄道博物館ができたんですよ。そこがこの博物館の一番のルーツになるわけですね。しかし2年後の関東大震災で展示物がすべてなくなってしまった。
それからまた少しずつ資料を集めて再度開館し、1936年(昭和11年)、神田に移転しました。その場所で約70年間、交通博物館として鉄道に関する歴史を伝えてきたということになります。ここは鉄道だけでなく、船舶や飛行機なども展示をしていましたが、展示面積もそれほど広くなく、思ったほど鉄道の歴史が伝えられるような状況になっていなかった。

その後、東日本鉄道文化財団が運営することになったので、鉄道の歴史に特化して伝えていこうということで、分割民営20周年記念にあたる2007年(平成19年)をめざして、新しく作り直そうという構想が持ち上がりました。数ある候補地の中から大宮に決まった理由はいくつかありますが、当時新幹線の分岐点として大宮が機能していたし、「鉄道のまち・大宮」というイメージは少なからず一般化していたからではないかと思います。大宮の方々の熱い思いを受けて、この地に鉄道博物館ができた、といっていいでしょう。
開館から11年、おかげさまで多数のお客さまに足を運んでいただき、今年5月26日には累計来館者数1000万人を突破しました。

筑波
ちょうど「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」の日でしたね。もともとJRが開催するイベントだったのですが、私が大宮駅長だったとき、訪れた方をもっと街中に連れ出そうということで、さいたま市とコラボするようになったんです。

大宮駅は歴史的にもこの街の方々のおかげでできたわけですから、もっと街を巡ってもらおうという思いがありました。駅長になって、大宮と駅の歴史を知れば知るほど、もっと大宮を元気にするためにどうしたらいいか考えるようになりました。普通、駅長はいかにお客さまに乗っていただくかを考えますが、私は「いかに降りていただくか」を考えていました。たとえばJR大宮駅からニューシャトルの駅までの通りを「てっぱく通り」と名付けて、鉄道博物館をイメージできるようにしたり。
それから、今子供たちに人気のアニメ『新幹線変形ロボ シンカリオン』の冒頭に鉄道博物館、大宮という名前がしっかり登場します。シンカリオンの基地が鉄道博物館の地下という設定ですからね。『シンカリオン』の人気が出て、鉄道博物館を訪れる人も増えてくれたらいいなと。それが大宮で「降りる」ことにつながってくれるでしょう。

▲鉄道博物館本館1階にある「車両ステーション」

宮城
お子さま連れのお客さまの間では「新幹線&鉄道博物館きっぷ」(現:「シンカリオン×てっぱくきっぷ」)も好評です。これは東京都区内から大宮駅までの新幹線往復普通車自由席特急券・乗車券とニューシャトル、鉄道博物館入館がセットで割引になった企画きっぷで、新幹線に乗って気分を盛り上げてから鉄道博物館に来ていただける。

▲本館1階にある「ミュージアムショップTRAINIART(トレニアート)」には、つり革でできたシャンデリアも

筑波
そうやって、子供たちを鉄道ファンにするのは大事。小さいときに鉄道が好きだと大人になっても好きなんですよ。ファンの裾野を広げる意味で、こうした博物館というのは歴史や文化といった学術的な側面も必要なのですが、純粋に子供たちに喜んでもらう要素が欠かせません。それに加えて今後は海外の人にも日本の新幹線を知ってもらうことも大切になってくるのではないでしょうか。

(後編につづく)

話題の現場から

最近話題となっている施設、イベント、プロモーション、商品・・・そんな現場の裏側はどうなっているのか、jekiならではの視点で総力取材します。

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  • 伸夫筑波
    筑波 伸夫 常務取締役営業本部副本部長・JR局長

    1955年生まれ。1981年日本国有鉄道入社。1987年よりJR東日本。
    2001年大宮支社営業部販売課長、2008年新潟支社営業部長、
    2011年本社営業部次長を経て、2013年から2015年まで大宮駅長を務める。
    2015年ジェイアール東日本企画取締役JR局長、2016年より現職。